

Dsquared2のオーバーサイズなアウターウェアがかわいい!
ディースクエアード2の今期の秋冬のアウターウェアは、オーバーサイズなシープスキンコートやパーカーなどのメンズライクなものが目立つ。アウトドアーにインスパイアされたこのシーズンは、ブランド初めてのメンズ&ウィメンズ統合コレクションとして発表しており、男女ともに楽しめるユニセックスなデザインになっているのも特徴。 Make up by KOHKO スポーティーな中にもラグジュアリー要素があり、オーバーサイズでもメンズライクになりすぎないフェミニンさがあるので、男女共に取り入れやすいアウターウェアはこの冬のオススメ。 ディースクエアード2 (Dsquared2) といえば、1964年生まれのカナダ出身の双子の兄弟、ディーン・ケイティン (Dean Caten) とダン・ケイティン (Dan Caten) が1994年に創業したイタリア生まれのファッションブランドである。トロントでキャリアを積んだ後にニューヨーク、その後イタリアのミラノへ渡り、ジャンニ・ヴェルサーチとディーゼルで働いた後に、ディーゼル創始者のレンツォ・ロッソから資金援助を受けブランドを立


ルイ・ヴィトンのエキシビジョンが、ついにニューヨークに上陸!
10月末よりニューヨークで開催中のルイ・ヴィトンのエキシビション『Volez, Voguez, Voyagez – Louis Vuitton(空へ、海へ、彼方へ)』 パリのグラン・パレからスタートし、東京、ソウルと開催され、その後も世界を巡ってゆくこの期間限定のミュージアムが、ついにニューヨークにやってきた。 “旅とルイ・ヴィトン”をテーマに、1854年に旅行用鞄の専門店として創業してから現在に至るまでのルイ・ヴィトンの軌跡が展示されている。時代の流れと共に人々の旅の中心となる交通手段(船、飛行機、鉄道、自動車)が様々に変化してゆく中で、メゾンの原点となるトランクはそれに応じ、人々のニーズや旅のスタイルに対応していった。今はもう存在しない旅のあり方を見て感じることができるだろう。 ミュージアムの最初は、ニューヨークに最も深い関わりのある交通手段、地下鉄を再現した展示物から。開催地のニューヨークに因んだ、ここだけの空間。 ↑ニューヨークの地下鉄でおなじみのタイルで造られたの駅名標識。 ↑ ニューヨークの地下鉄ホームを再現した通路を通っていよいよ展


永遠の"ファッション アイコン" オードリー・ヘップバーンとジバンシィの深い友情
今もなお、世界中の女性が憧れる、50-60年代を代表するハリウッド女優であり、ファッションアイコンでもあるオードリー・ヘップバーン。 オードリーの出演する映画は、いつの時代に見ても一切の古さ感じさせないおしゃれさと、誰が見ても美しいと言えるスタイルがとっても印象的。(写真出典:Getty Images) まだスマートフォンなど存在しておらず、インターネットが当たり前じゃなかった頃の十代の私は、ビデオショップで手に入れた字幕も吹き替えもない「ティファニーで朝食を」のVHSを何度も何度も見ては、ヘアスタイルやメイクアップ、ドレス、靴、さらにはインテリアまでもワクワクしながら楽しんだものだ。 そんなオードリーの出演する数々の映画作品の衣装をデザインをし、ファッションアイコンと呼ばれるまでに大きな影響を与えたデザイナーが、ジバンシィの創業者であるユベール・ド・ジバンシィである。 映画「麗しのサブリナ」に始まり、オードリーが初めてのオスカーを手にした「ティファニーで朝食を」で有名なブラックドレス、さらにはプライベートのウェディングドレスのデザインまでも手が


年齢を重ねることを楽しもう!"Girls Just Want to Have Fun" 時代を超えた永遠のFashion/Beautyアイコン、シンディ・ローパー
ニューヨークの出身で、80〜90年代にの代表的なポップクイーンであり、ファッションアイコンでもあるシンディ・ローパー(Cyndi Lauper)。 “ ” 出典:VOGUE 80年代後半生まれの私は、リアルタイムでシンディの活躍こそ見てはいないが、大ヒットしたデビュー曲の『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン(Girls Just Want to Have Fun)』のミュージックビデオは、今の時代に見てもすっごくかっこいい! 黒系小物で全体を引き締めた膝丈のピンクドレスに、ジャラ付けしたチェーンアクセを震わせて、踊りながら朝帰りをするシーンから始まるミュージックビデオ。第一回MTVミュージックビデオアワードで数々の賞にノミネートし、最優秀女性歌手賞を獲得。その他、ローリング・ストーン誌の最優秀新人賞など1984年度の多くの賞を総なめにした。 イエローやレッドのカラフルなヘアスタイルと、アイホールを大きくオーバーした大胆なアイシャドウメイクにチーク、細く整えられたアイブロウ、ブライトな赤リップ等、80年代のビューティートレンドに大きな影響を与え


ガブリエル・ココ・シャネルの人生 後編
シャネルの成功 恋人のカペルによる出資で、帽子店「シャネル・モード」をオープンした後に、婦人服のデザインを始めたココ・シャネルは、1913年、2号店となるメゾン「シャネル」をオープン。1915年には「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、翌年に発表したジャージー素材を取り入れたドレスのコレクションが大成功を収める。その頃の時代は、1914年のサラエボ事件を契機に第一次世界大戦が始まり、1918年の終結を迎えるまでの5年間に及ぶ戦争という最中だった。 その後、戦争が終わり、ようやく新しい流れが始まろうとした翌年、カペルはココ・シャネルとの密会に向かう途中で自動車事故に遭い亡くなる。シャネルが36歳の時だった。 ここまでの流れを動画で見られます↓ 出典:CHANEL / Coco - Inside CHANEL 数々の「シャネル スタイル」の誕生 1920年、パリは狂乱の時代を迎え、劇場やミュージックホールでひしめく街は、毎晩のように華やかな祝祭と酒や麻薬で入り乱れていた。 1921年、ココシャネルは更に本店を拡張させ、シャネルの香水「CHANEL


ガブリエル・ココ・シャネルの人生 前編
前ブログで紹介したシャネルの14年ぶりとなる新しい香水 ”ガブリエル シャネル” ”ココ・シャネル”になる前の”ガブリエル”とは一体どのような人物だったのだろうというところから、彼女の人生についてとても興味が湧いてきた。 “揺るぎない強さを持つ、あの時代の型破りな女性”と言われたココ・シャネル、一体どのような人物だったのだろう。 “ 出典;Vogue.com ” 悲しい幼少時代 ガブリエル・ボヌール・シャネルは、1883年8月19日、パリ南西部ソミュールに、修道院が運営する慈善病院にて5人兄弟の次女として生まれる。 母親は洗濯をして生計を立てているジャンヌ、父親は作業着や肌着などを売り歩く行商人のアルバート・シャネルだった。貧しい一家は一部屋しかない家にひしめき合って暮らしていた。 ガブリエルが12歳になる直前に母親は結核を患い32歳という若さで亡くなる。その後父親は5人の子供全員を養子や孤児院へと送った。 父親から見放され孤児院で育つという悲しい幼少期を送ったガブリエルではあったが、そこで学んだ裁縫が、後の彼女の成功に大きな影響を与えることとな