
ガブリエル・ココ・シャネルの人生 後編
シャネルの成功 恋人のカペルによる出資で、帽子店「シャネル・モード」をオープンした後に、婦人服のデザインを始めたココ・シャネルは、1913年、2号店となるメゾン「シャネル」をオープン。1915年には「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、翌年に発表したジャージー素材を取り入れたドレスのコレクションが大成功を収める。その頃の時代は、1914年のサラエボ事件を契機に第一次世界大戦が始まり、1918年の終結を迎えるまでの5年間に及ぶ戦争という最中だった。 その後、戦争が終わり、ようやく新しい流れが始まろうとした翌年、カペルはココ・シャネルとの密会に向かう途中で自動車事故に遭い亡くなる。シャネルが36歳の時だった。 ここまでの流れを動画で見られます↓ 出典:CHANEL / Coco - Inside CHANEL 数々の「シャネル スタイル」の誕生 1920年、パリは狂乱の時代を迎え、劇場やミュージックホールでひしめく街は、毎晩のように華やかな祝祭と酒や麻薬で入り乱れていた。 1921年、ココシャネルは更に本店を拡張させ、シャネルの香水「CHANEL

至福の香り "ROSE 31"
パリのファッションウィークも、もうすぐ終わりを迎える。 ニューヨークも夏の余韻がすっかりなくなり、ジャケットが手放せない季節になって来た。 ここからは冬に向けての乾燥対策である。 怠けグセのある私は、シャワーの後のボディクリームをサボらないために、本当にお気に入りのものを使うようにしている。 使うたびに毎回Happyな気分になれる大好きな香りのものを。 もともとローズ系の香りが好きで、ハンドクリームなどもローズのものよく使っていたのだが、これはその中でも特別だ。 LE LABO(ル・ラボ)というニューヨーク発のCoolなフレグランスのお店から出ている"ROSE 31"というボディローション。(日本には代官山に1店舗あります。) “ 出典:LE LABO Japan Website ” 伸びも良く、肌にすっと馴染んでベタつかず、使い心地も私好み。 そして、何より香りがとっても好き。 ローズの中でも色々な香りがあるが、私にとってここの香りは、”リラックス”と”エネルギー”を同時に与えてくれるような上品さで爽やかな、そして力強さを感じる。 さすがフレグ

ガブリエル・ココ・シャネルの人生 前編
前ブログで紹介したシャネルの14年ぶりとなる新しい香水 ”ガブリエル シャネル” ”ココ・シャネル”になる前の”ガブリエル”とは一体どのような人物だったのだろうというところから、彼女の人生についてとても興味が湧いてきた。 “揺るぎない強さを持つ、あの時代の型破りな女性”と言われたココ・シャネル、一体どのような人物だったのだろう。 “ 出典;Vogue.com ” 悲しい幼少時代 ガブリエル・ボヌール・シャネルは、1883年8月19日、パリ南西部ソミュールに、修道院が運営する慈善病院にて5人兄弟の次女として生まれる。 母親は洗濯をして生計を立てているジャンヌ、父親は作業着や肌着などを売り歩く行商人のアルバート・シャネルだった。貧しい一家は一部屋しかない家にひしめき合って暮らしていた。 ガブリエルが12歳になる直前に母親は結核を患い32歳という若さで亡くなる。その後父親は5人の子供全員を養子や孤児院へと送った。 父親から見放され孤児院で育つという悲しい幼少期を送ったガブリエルではあったが、そこで学んだ裁縫が、後の彼女の成功に大きな影響を与えることとな

14年ぶりのシャネルの新しい香り「ガブリエル シャネル」
買い物中にふらっと立ち寄ったSephoraの入り口で、吸い込まれるように手にとったのが、日本では今月発売されたばかりのシャネルのフレグランス『ガブリエル シャネル』だった。 “ 出典:CHANEL ” シャネルの香水は自分の中で香りが強いイメージがあったため、今まであまり手に取るようなことはなかった。しかしこの、ごく繊細なガラスを用い、こだわり抜いて作られたと言われる美しいボトルと、さらにその期待を裏切らないピュアで上品なホワイトフラワーの香りに魅せられて、一瞬で虜になってしまった。 ガブリエルとはココ・シャネルの本名であり、このフレグランスはシャネルのデザイナーとして誕生する前の”ガブリエル”という女性像からインスピレーション得たもの。”ガブリエルは情熱にあふれ、自分の信念に従って、どこまでも自由であることを追い求めた女性”だそうだ。 「なりたい自分になると決めた。それが今の私」 ーガブリエル・シャネル まさに私の憧れる永遠の女性像だ。 #メイクアップアーティスト #メイクアップ #NY #NYC #BeautyBlog #ファッション #ニュ