ガブリエル・ココ・シャネルの人生 前編
前ブログで紹介したシャネルの14年ぶりとなる新しい香水 ”ガブリエル シャネル”
”ココ・シャネル”になる前の”ガブリエル”とは一体どのような人物だったのだろうというところから、彼女の人生についてとても興味が湧いてきた。
“揺るぎない強さを持つ、あの時代の型破りな女性”と言われたココ・シャネル、一体どのような人物だったのだろう。
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出典;Vogue.com
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悲しい幼少時代
ガブリエル・ボヌール・シャネルは、1883年8月19日、パリ南西部ソミュールに、修道院が運営する慈善病院にて5人兄弟の次女として生まれる。
母親は洗濯をして生計を立てているジャンヌ、父親は作業着や肌着などを売り歩く行商人のアルバート・シャネルだった。貧しい一家は一部屋しかない家にひしめき合って暮らしていた。
ガブリエルが12歳になる直前に母親は結核を患い32歳という若さで亡くなる。その後父親は5人の子供全員を養子や孤児院へと送った。
父親から見放され孤児院で育つという悲しい幼少期を送ったガブリエルではあったが、そこで学んだ裁縫が、後の彼女の成功に大きな影響を与えることとなる。
”ココ・シャネル”の始まり
18歳になり孤児院を出た後に、昼はお針子の仕事をする傍ら、夜は歌手を目指しキャバレーで歌う生活を送る。「ココ」とは彼女の愛称で、その当時に流行った歌の歌詞に出てくる名前に因んでつけられたものだった。
その後も歌手を目指しオーディションを受けるが、落選ばかりが続きその道を諦めることとなる。
その頃、裕福なフランスの将校エティエンヌ・バルサンと出会い、ガブリエルが23歳の時に彼の愛人となる。
彼は裕福な商家の跡取りで、パリ郊外の大きな屋敷に彼女を住まわせ贅沢な暮らしをさせた。
その頃から帽子のデザインに興味を持ち始めたガブリエルは、バルサンの援助により、1909年パリの17区に帽子のアトリエをオープンさせる。
1910年にはパリ1区に帽子の専門店「シャネル・モード」をオープン。
その頃にはバルサンとは別れ、ガブリエルが生涯唯一愛した人物とされる、イギリス人の青年実業家アーサー・カペルと交際を始める。
お店の開設資金は彼の助力によるものだった。
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